横濱DRAGON師匠のちょっと行ってきました20201025

『ダブルファンタジー ジョン&ヨーコ展』in六本木

 

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先日、世田谷の現場の帰りに滑り込みで入場した

ダブルファンタジージョン&ヨーコ展

 

本日は渋谷でリノベーションの打合わせをした後に

今度はゆっくりジョンと語りたくて

再度、六本木に足を向けるのだった。

 

ジョン•レノンと言えばビートルズのメンバー

僕が初めてビートルズを見たのが幼稚園の年長だったかな。

 

夜中に(とは言っても23:00ごろだったのかな、幼稚園児には真夜中だ)

7つ上の兄貴が親の目を盗んでテレビに映る4人のおカッパ頭の若者たちの演奏に

釘付けになっていた。

 

多分時代的にはビートルズの日本武道館だったのでは無いかと思う。

僕はなんの興味もなくトイレから戻りすぐ寝てしまった。

 

そして、中学生になった頃、ドラムを叩いていた同級生の家に行き

カッコいいそいつの兄貴からビートルズを教えてもらう事になる。

 

アルバム「レットイットビー」や「アビーロード」が出る少し前くらいだったかな?

そう、ビートルズが解散するちょっと前、ポールの死亡説なんかがで始めた頃だった。

 

すぐに僕は夢中になり、お決まりのパターンでドラムを叩いてた

その同級生とバンドを組み

ツイストアンドシャウト

シーラブズユー

ゲットバック

などなどコピーしていった。

 

当時の僕はギターを担当していたのでジョージの大ファンだった。

しかし、その後のジョンの生き方や描く文章や描く絵を見て

 

彼がニューヨークのダコタ・ハウスでの1980年12月8日

悲劇を迎えた頃には大ファンになっていた。

確か神田の店舗設計事務所で図面を書いているとき

 

夕方のKioskの新聞スタンドでジョンが死んだことを知り

慌てて新聞を2〜3社分買った覚えがある。

 

あれから40年、そしてジョンは生誕80年…

 

彼の残した、音楽は偉大だが

それを創り出したクリエーティブな彼の日常の

走り書き、自由な発想の絵、トレードマークの眼鏡

 

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イマジンの詩は、ホテルのメモから生まれた事に

感動するとともに、常に彼はソウル電波を

受信して、インプットとアウトプットを

最高のセンスで創作し続けていたようだ。

 

改めて、僕の尊敬する5人の男のひとりに選んで間違い無しと

確信しながら、彼の描いた沢山のメモと会話して来た。

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『おぉ〜 なんかすごいソウル電波感じるな』

ありがとう。ジョン&ヨーコ

 

横濱DRAGON師匠のちょっといって来ました

でした。笑