『ダブルファンタジー ジョン&ヨーコ展』in六本木
先日、世田谷の現場の帰りに滑り込みで入場した
ダブルファンタジージョン&ヨーコ展
本日は渋谷でリノベーションの打合わせをした後に
今度はゆっくりジョンと語りたくて
再度、六本木に足を向けるのだった。
ジョン•レノンと言えばビートルズのメンバー
僕が初めてビートルズを見たのが幼稚園の年長だったかな。
夜中に(とは言っても23:00ごろだったのかな、幼稚園児には真夜中だ)
7つ上の兄貴が親の目を盗んでテレビに映る4人のおカッパ頭の若者たちの演奏に
釘付けになっていた。
多分時代的にはビートルズの日本武道館だったのでは無いかと思う。
僕はなんの興味もなくトイレから戻りすぐ寝てしまった。
そして、中学生になった頃、ドラムを叩いていた同級生の家に行き
カッコいいそいつの兄貴からビートルズを教えてもらう事になる。
アルバム「レットイットビー」や「アビーロード」が出る少し前くらいだったかな?
そう、ビートルズが解散するちょっと前、ポールの死亡説なんかがで始めた頃だった。
すぐに僕は夢中になり、お決まりのパターンでドラムを叩いてた
その同級生とバンドを組み
ツイストアンドシャウト
シーラブズユー
ゲットバック
などなどコピーしていった。
当時の僕はギターを担当していたのでジョージの大ファンだった。
しかし、その後のジョンの生き方や描く文章や描く絵を見て
彼がニューヨークのダコタ・ハウスでの1980年12月8日
悲劇を迎えた頃には大ファンになっていた。
確か神田の店舗設計事務所で図面を書いているとき
夕方のKioskの新聞スタンドでジョンが死んだことを知り
慌てて新聞を2〜3社分買った覚えがある。
あれから40年、そしてジョンは生誕80年…
彼の残した、音楽は偉大だが
それを創り出したクリエーティブな彼の日常の
走り書き、自由な発想の絵、トレードマークの眼鏡
イマジンの詩は、ホテルのメモから生まれた事に
感動するとともに、常に彼はソウル電波を
受信して、インプットとアウトプットを
最高のセンスで創作し続けていたようだ。
改めて、僕の尊敬する5人の男のひとりに選んで間違い無しと
確信しながら、彼の描いた沢山のメモと会話して来た。
『おぉ〜 なんかすごいソウル電波感じるな』
ありがとう。ジョン&ヨーコ
横濱DRAGON師匠のちょっといって来ました
でした。笑